これだから数学は美しい|フェルマーの最終定理で数学の美しさを再認識

フェルマーの最終定理小説

こんにちは。いっとくです!

美しいもの。ダイヤモンド!透き通る海!バイオリンの音色!

そして、、、

数学ッ!!(?)

ということで、いきなり何をいってるんだい?って感じだと思うのですが、最近読んだ本に影響されています。

僕、最近読んだ本に影響されています!

フェルマーの最終定理
フェルマーの最終定理
著:サイモン シン 訳:青木 薫
出版:新潮文庫

そんな僕を影響した本がこちらの「フェルマーの最終定理」です。

会社の先輩が面白いから読んどけってことで読み始めたこちらの本。

結論をいうと、すごく面白かった。泣いたり笑ったりがあるわけではないのですが、胸にグッとくるインタレスティングな面白さ。

ジャンルがノンフィクションの小説な上にテーマが数学ということもあって、自分では絶対に選ばなさそうな本なのですが、人にオススメされた本を読むことって自分にない要素を取り入れることだから良い経験ですよね〜

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ところでフェルマーの最終定理とはなんぞ?

僕はこの本を読んで初めてフェルマーの最終定理というものを知りました。

フェルマーの最終定理というのは、17世紀のフランスの数学者であるピエール・ド・フェルマーという男が残した数学界の最大の謎であります。

フェルマーはプロの数学者ではなく、裁判官を本職としているのですが、趣味として数学を楽しんだ結果数論の父と呼ばれるまでになった存在です。

そんなフェルマーが残したメモの中に、数学界の碩学達ですら300年以上も解決できなかった難問が残されていたのです。

その最終定理の内容とは、

xのn乗 + yのn乗 = zのn乗

nが3以上の整数の場合、上記の式が成り立つ自然数の組み合わせ(x,y,z)は存在しない

フェルマーの最終定理より

一見すると証明するのがとても難しそうには見えないこの定理だが、実は300年以上全く証明されなかったのだ。

そして、フェルマーのメモにはこんな一文が。

私はこの定理に対して驚くべき証明を見つけたが、それを書くには余白が足りないのでやめておこう。

フェルマーの最終定理より

なんという天邪鬼。小学校の時こういうこといってるやついたわ。

このフェルマーの最終定理は、あまりにも長い間誰も証明できなかったため、もはや数学界では誰も解けないような難問になると同時にこれを解くことがロマンにもなりつつあったのです。

漫画で例えると、ONE PIECEでワンピースを見つけることみたいな感じになってたんだと思う。この世の全てをそこに置いてきた的な。

しかし時は経って、1995年。イギリスの数学者であるアンドリュー・ワイルズによってフェルマーの最終定理が証明されたというニュースが駆け巡ります。

本書はそんなアンドリューの快挙を表現するために、古代ギリシャのピタゴラスの時代に遡って数学の世界とはどんな世界なのかということから丁寧に紐解かれていきます。

丁寧に紐解きすぎて、半分くらい読み進めるまで現代まで戻ってこれなくなります。

しかし僕は高校・大学と文系の学生として歩みを進めてきたので、これくらい丁寧な解説があって初めて没入できるというもんです。

文系人間でも数学嫌いマンでも、本書の構成だとアンドリューワイルズがフェルマーの最終定理を証明したということが、どれほど難しくどれほど熱い物語だったのかということがひしひしと伝わってくることでしょう。

そんな胸にグッとくるストーリーについては、本を読んで楽しんでくださいという感じなので、僕が本書を読んで数学って奥深いな〜と思った点だけダラダラと書いていこうと思います。

数学の証明は厳密でなければいけない。

僕が数学面白いなと思った一つ目の理由は、数学の証明はそれはもう完全な証明が求められるといいうこと。

例えば科学だと、およそ正しいということが大多数によって証明されれば正として認められるわけだが、数学にはそういう曖昧さを許容する隙間が一切ない。

理論が完璧で、どの条件においても必ず成り立つことが証明されなければ、それは「定理」ではなく「予想」のままなのです。

例えば、フェルマーの最終定理の場合、nの値が100のケースまでは証明されたとしても、nの値は文字通り無限に存在するため、どこでその条件が崩れるかわからないのです。

なので誰が見ても「いや、流石にこの定理は正しそうだぞ??」と思っていても定理としては認められないのです。

しかし、そんな厳しい条件だからこそ定理を証明することにロマンがあります。

はっきりいってフェルマーの最終定理自体の証明は数学者の中でも一握りの人しか理解できないと言われているし、僕が見ても全く何の話なのか理解できないでしょう。

むしろ高度な数学ほど数字じゃなくてアルファベットばっかり使ってるので、間違えて英語か何かだと思うかもしれません。

本書ではいくつか数学の証明方法などの補足説明が巻末についているのですが、中でもピタゴラスの定理の証明はすごく美しいなと感じます。

美しいというか賢いというか、なんでこれを証明するためにこんな方法を思いついたんだろうかと感動するレベルです。

気になる人は調べると出てくると思うので、ぜひその美しさを目の当たりにしてみてください!

そんな厳密な数学をみて思ったんだけど、この数学の証明に対する厳密さって結構プログラミングにいきてくると思うんですよね。

例えば自分でロジックを考えてプログラムの分岐やループ処理を考えるときに、今作っているシステムではこの状態はありえない…故にここはこうするのが一番処理が早くなるし、可読性も上がるぞ!みたいな。

漠然とプログラムを組むだけじゃなくて、こんな感じで自分の中で色々な条件を洗い出して証明を導いていけば、より効率的なプログラミングを組めるんじゃないの?

そんなこともあって、僕はまずこの厳密な証明というところに大きく興味を惹かれました。

無限という破茶滅茶な概念

そして、もう一つ面白いと思ったもの。それが無限。

無限ってすごくないですか?

もう全く意味がわからない。身の回りにあるもので無限のものってないですよね。

無限かと思えるくらい途方もない単位が大きいものならあるけど、結局のところ有限。

世の中の数字には整数や偶数や奇数や素数など色々な種類に数字を分類することができます。

1~100までの数字の中で、整数は100個あり、偶数と奇数は50個ずつあり、素数は25個あります。

そう考えると世の中にある数字の多さは整数>偶数=奇数>素数となりそうですが、実際は整数=偶数=奇数=素数=∞になるわけです。

やべぇ、言ってることはわかるんだけど、全然感覚として理解できない。

整数の方が偶数や奇数よりも総量は2倍ありそうなのに、どれも無限。

素数なんて整数や奇数とかより圧倒的に少なそうなのに無限。

なんなら無限に1を足しても無限。

もし仕事量が無限だったら、上司に「今の進捗具合はどう?」って聞かれても「めっちゃ捗って恐ろしいくらいの成果が出そうですが、%でいうと0が一番近いです!」っていうしかなくなります。恐ろしいブラック企業やで。

フェルマーの最終定理が難問となっていた理由も、この無限という概念が厄介な問題でした。

というのもnの値も無限に存在し、x,y,zの組み合わせも無限に存在するわけですから、どんなにハイスペックなPCを使っていろんなパターンを力技の計算で証明していったとしても、全く終わりが来ないわけです。

進捗0%ですよ。

それを証明しちゃうってんだからすごいよね。

今まで数学について大した興味なかった僕ですらそのすごさと尊さが伝わってくるんだから、この作者のサイモンシンさんはすごいね。

そもそも数学の歴史が面白い

かつて数学は趣味として嗜まれる実用性のない学問でした。

それが長い歴史の中で、自然現象や物理法則での計算に使用されるようになったり、世界大戦の暗号やその解読に使われるようになったりと、どんどんいろんな使われ方がされるようになりました。

そんな歴史を辿っていくことで、今まで知らなかった数学の面白みというものがわかるようになる。

それがこのフェルマーの最終定理です。

正直、そもそもの内容が小難しそうなのでそれなりに気合を入れないと読めないんじゃないかという偏見を持っていたのですが、実際に読んでみると数学がわかならない人でも楽しめるように、最低限の聞いたことがあるような専門用語だけを使って解説しています。

高校入って数学と科学の授業に屈服して文系になった僕の脳でも楽しめる内容だったのでもし機会があれば読んでみてはいかがでしょうか?

ただ、最低限中学校レベルの数学の知識くらいはないと途中で挫折はすると思うので参考にしてみてください。

今回人に勧められて読み始めた本でしたが、自分の完成では絶対に選ぶことのないであろう本だったので、人に勧められた本を素直に読んでみるって悪くないねぇと思ったのでした。

以上、フェルマーの最終定理を読んだよって話でした!

さいなら!

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